スーパーマリオブラザーズが生まれた世界線

 

今から40年前の1985年9月13日、任天堂がファミリーコンピュータ向けに『スーパーマリオブラザーズ』を世に送り出した。

この作品は、単なるヒット作ではなくて、国内だけでも累計681万本のセールスを誇り、当時のファミコン本体の売上を牽引し、ビデオゲームを一過性の流行から後(現代)の文化へと押し上げる礎となった、ゲーム史に燦然と輝く伝説のタイトルだ。

だが改めて考えると、この誕生はどれほどの奇跡だったのだろう?もし地球の歴史を1万回繰り返したとして、1985年に『スーパーマリオブラザーズ』級の輝きが生まれる確率は、果てしなく低いのではないか。有機生命体がこの星に芽吹いた確率を思わせるほどに。

スーパーマリオブラザーズについて特筆すべきは、そのゲームデザインだ。当時はまだビデオゲームとは何かが手探りで模索されていた時代。そんな状況で、直感的な操作性、緻密な難易度曲線、隠し要素の遊び心、そして「遊んでいて自然に学べるチュートリアル性」を兼ね備えた本作が突如として現れた。1985年にこれほど完成度の高い設計が生まれたこと自体が奇跡的であり、以降の無数のアクションゲームがその影響を受け、「手本」として参照され続けることになった。




この奇跡の中心にいたのは、宮本茂という一人の男、そして彼を支えたスタッフたち。もしも、彼らが別の会社に入っていたら? もしゲームではなく、映画や音楽の道を選んでいたら?その場合、マリオは誕生しなかっただろう。

1980年代の日本は、まさに完璧な舞台装置だった。まず家庭にはカラーテレビが広がっていた。そして1978年の熱狂的なインベーダーゲームブームで、ゲームセンターがビデオゲームの面白さを知らしめると同時に、風適法によりゲームセンターの入場規制が強まると、子供達は家で遊べるビデオゲームを渇望した。そのタイミングで宮本氏のアイデアと近藤浩治氏の音楽が出会い、任天堂の技術と市場が融合する。歴史を1万回繰り返したとして、これらの条件が同じ年に揃う確率は、天文学的に低いのではないだろうか。

もし一つでも要素が欠けていたなら、マリオは存在しなかった。仮に生まれていたとしても、赤い帽子にオーバーオールではなく別の姿をしていたかもしれないし、キノコを食べて大きくなるという奇抜なアイデアが世に出なかったかもしれない。あるいは、完成度があと一歩届かず、歴史に埋もれるそこそこ面白いゲームで終わっていた可能性もある。ゲーム史におけるスーパーマリオブラザーズは、例えるなら古代遺跡から発掘された宇宙船のようなものだ。

数多の偶然と必然が重なり、1985年の秋に一本の伝説が生まれた。
きっと僕たちは幸運にも、そんな一度きりの奇跡が起きた世界線に生きている。
だからこそ、自分はこの世界と、そのゲーム史を心ゆくまで味わいたい。

本日40周年を迎えるマリオに心からのおめでとう、そしてありがとうを。