〔MV〕崇勲「FLASH」
「切り取られた今」をどう生きるか。
人の意識は、常に「切り取られた今」だ。
朝スマホを開く瞬間、電車のドアが閉まる刹那、ゲームでボタンを押す一拍。僕らは連続した時間ではなく、常にその一瞬だけを感じている。
そしてその切り取りは、現代でどんどん速くなっている。SNSの更新、通知の連打。次々と新しい今が提示され、気づけば時間は細切れになり、僕らは瞬間の連続に閉じ込められている。
そんな切り取られた「今」、それは悪いことばかりではない。
集中の極限、ゲームのボス戦や創作のフロー状態では「今」しかなく、そこには心地よい没入がある。写真家や音楽家が一瞬に美を封じ込めるように、うまく切り取れた「今」は濃度を持つ。問題は、切り取りが速すぎて繋がりが失われていることだ。
だから僕らは、意図的に今を引き延ばす工夫が必要になる。
朝のコーヒーを淹れる、帰宅後の靴を脱ぐ、紙に文字を書く。小さな儀式やアナログな行為は、時間を少しだけゆっくりにしてくれる。
また、通知を切る、SNSを見ないなど、切り取る今を自分で選ぶことも大切だ。自分で選んだ一瞬は、他人に与えられた一瞬よりもずっと記憶に残る。
僕らができるのは「どの今を切り取るか」を選ぶことだけだ。
速すぎる世界の中で「今」を丁寧に扱う。それは小さな抵抗であり、同時に静かな幸福でもある。
僕らが切り取った極上の「今」に集中すること、その「今」を並べること。それは永遠なんてアテにならない言葉と意味を同じくするものなのかもしれない。