新作ゲームに手を出そうとするも、結局人生ドレインゲームの吸引力に負けてしまう話

毎年、いや毎月のように新しいゲームが発売される。
インディーゲーの発売ペースも含めればそれこそ毎日だ。

SNSを見れば「神ゲー」「今年のベスト」「これはやるべき」といった言葉が流れてきて、Steamのウィッシュリストもじわじわ増えていく。

今日は新しいゲームをやろう!
そう思ってPCの前に座る。

そして、気がつくと――
Skyrimを起動している。

不思議なものだ。
ドラゴンボーンとしての人生は、もう何周も終えているはずなのに、
なぜかまたリバーウッドのあたりを散歩している。

いや、今日は違うゲームをやるつもりだったんだ。
そう思ってSteamのライブラリを閉じ、別のアイコンをクリックする。

今度はCities: Skylinesが立ち上がる。
ちょっとだけ都市の交通を整えよう、そう思って道路を一本引く。
発電所を建てる。公園を作り、街の景観を調整する。

気づけば二時間経っている。



これらは僕が勝手に「人生ドレインゲーム」と呼んでいる類のゲームだ。
やればやるほど時間が溶けていく。
終わりが見えない。
そして、やめどきがない。

他にもいくつかある。
Core Keeperで地下を掘り続けたり、
The Sims4で他人の人生を管理したり、
Civilization Vで「あと1ターンだけ」を繰り返したり、
RimWorldで入植者の悲喜こもごもを眺めたり。

どれも、始めたら最後、夜が静かに消えていくタイプのゲームだ。

冷静に考えるとちょっとおかしい。
世の中にはまだ触れていないゲームが山ほどある。
名作だって、話題作だって、積みゲーだって、いくらでもある。

それなのに、なぜか帰ってきてしまう。

新しいゲームを遊ぶのは、少しだけエネルギーがいる。
ルールを覚えて、システムを理解して、世界観に慣れて。
最初の数時間は、ある意味で「勉強」でもある。

その点、やり尽くしたゲーム達は違う。
もう身体が、脳が、操作も定石も何もかも覚えている。
キーボードを叩く手は淀み無く、ゲームパッドは軽快な音を立てる。
そこで新たな労力を要することは全くない。
何も考えずにプレイできる。だからこそ心地が良い。

言ってみれば、これはゲーム界の実家みたいなものだ。
新しい街を旅していても、ふとした瞬間に帰りたくなる場所。

だから今日もまた、新作ゲームのレビューを眺めながら、ライブラリを開く。
そして結局、Civilization Vのアイコンにカーソルが吸い寄せられる。

「あと1ターンだけ……!」

そう思いながら、本日も人生が少しだけドレインされている僕だった。