面白い体験が価値を持つというのは、誰でも納得できる話だと思う。
では、つまらない体験はどうだろうか。
僕はつまらない体験というのは面白い体験の次に価値があると思っている。
まず単純な話として、つまらない体験は話のタネになる。面白い体験は、もちろんそのまま語ればいい。しかし意外と、会話の場で盛り上がるのは微妙だった話や失敗談だったりするものだ。だからつまらない映画を観る事は、面白い映画を観る事の次に良い。クソ映画は面白くないかもしれないが、クソ映画の感想は面白くなるポテンシャルを秘めている。
さらに言えば、つまらない体験は比較対象として機能する。本当に面白い体験というのは、それ単体で輝いているわけではなく、それ以前に積み重ねた微妙な体験との対比で際立つものだ。ずっと当たりばかり引いていたら、当たりの価値は薄れる。むしろ外れを知っているからこそ、これは良かったと実感できる。そう考えると、つまらない体験は、面白い体験を引き立てるための下地でもある。
そしてもう一つ。つまらない体験には、自分の輪郭を知るという役割がある。なぜつまらなかったのか。どこが合わなかったのか。何を期待していたのか。そういうことを考えていくと、自分の好みや価値観が少しずつ見えてくる。逆に言えば、何をしてもなんとなく楽しいで済ませてしまうと、自分が何を好きで、何を避けたいのかが曖昧なままになる。つまらなさは不快ではあるけれど、その分だけ自らの価値観を浮き彫りにしてくれるだけの情報量がある。
だから、つまらない体験というのは、決して無ではないということだ。本当に価値がないのは、何も感じないまま終わる体験だ。面白くもなく、つまらなくもなく、記憶にも残らず、誰にも話さず、何の印象も残らないものこそが、最も価値の無い体験である。それに比べれば、つまらない体験というのは、つまらなかったと思えた時点ですでに何か大きな意味を残している。