ゲームの街の名前

ゲームをやっていると、街の名前に思いを馳せる瞬間がある。

大抵の街には名前がちゃんとあるのだ。「○○村」とか「△△の里」とか、設定資料集には載っているはずの名前が。でもプレイしている間中、一度もその名前を意識しないという事もある。

RPGのマップ画面で街の名前がポップアップする。あれを見た瞬間、ああそういえばそんな名前だったなと思う街と、そうだよそこがケルブの村だよと親しみを持って受け取れる街(村)の、差はどこから来るのか。ずっと気になっている。

以前、NTEを遊んでいた時に「茂蔵豆腐店」という店を見かけて、妙に感心したことがある。実在する店名だからというのもあるのだろうが、それ以上に、その街の生活感と店名の響きが自然につながっていた。名前だけが浮いておらず、「この街で長く営業していそう」という空気まで含めて成立していたのだ。作り手が格好いい名前を置いたというより、先に街の暮らしが存在していて、その結果として店名が生まれたように感じられた。

逆に、名前だけが立派すぎる街に出会うこともある。「古代神殿都市アルカディア」みたいな壮大な名前なのに、実際に入ってみると、武器屋と宿屋が一軒ずつあるだけで、住民も断片的な台詞を喋るだけ。すると急に、街全体が書き割りのように見えてしまう。名前が語っているスケール感に、中身が追いついていないのだ。

結局、人は街の名前そのものを好きになるというより、その場所で体験した感覚を好きになるのだと思う。 「兄弟がバザーで民芸品の買取競争に魂を燃やしていた村」とか、 「縄跳びのミニゲームが遊べる王都」とか、 「宝箱までの道のりを体を張って邪魔するカニがいた港町」とか、 そういう思い出が積み重なって、その街は記憶に残る。名前はその後から貼られるラベルに近い。

現実の街もたぶん同じだ。吉祥寺という名前を、いちいち意識しながら歩いている人は少ないんじゃないかと思う。そりゃ吉祥寺目当てで遠くから訪れた人なんかは、「ああ今吉祥寺を歩いているんだな」と思うかもだけど、地元の人からしたら、サンロードの雑踏とか、井の頭公園へ抜ける空気とか、駅前の密度感とか、そういう感覚の集合体として街を認識していて、それを呼び分けるために「吉祥寺」という名前を使っているだけだ。

ゲームでも、名前を覚える前に、その街の温度や匂いや生活感のほうが先に脳に残る。

そんなことを、NTEで店名を眺めながらぼんやり考えていた。ゲームの街を歩いていると、時々こういうどうでもいいことを延々と考えてしまう。でも、案外そういう時間こそ、ゲームを遊ぶ醍醐味の一部なのかもしれない。