他人の夢の話ほど面白いものはない

他人の夢の話ほどつまらないものはない。


そんな言葉を聞いたことはないだろうか?
インターネット慣用句というか、割と広く耳にする言葉だと思う。

ここでの「夢」とは将来の展望だとか願望のことを指すこともあるが、睡眠中に見るものとしよう。

僕はこの言葉については、全く逆に感想を抱いている。

他人の夢の話ほど、面白いものはない!

と本気で思っている。

なぜなら、夢はその人を物語る一冊の本のようなものではないかと考えているからだ。そして同時に、夢が持つ支離滅裂な内容が僕はたまらなく好きである。

例えば、「実家のリビングで織田信長と麻雀を打っていたら、突然教室になって先生がテストを配り始めた」と言われても、普通なら何を言っているんだ?で終わる。しかし夢の中では、夢を見ている当人はその展開を疑わない。信長がリビングにいることも、教室になったことも、麻雀がテストに変わったことも、全部当たり前として受け入れてしまう。

夢というのは、脳が即興で作るシュールレアリズムなのである。
だから、話として聞くだけでも面白い。
現実の物語には起承転結や整合性が求められるが、夢にはそんなものはない。

駅を歩いていたと思ったら海の中にいて、その海には小学校の担任が住んでいて、なぜか魚がフィンランドの政治について語り始める。支離滅裂である。しかしその支離滅裂さこそが夢の魅力だと思う。

現実では論理が世界を支配している。だからこそ、論理が完全に壊れた世界を覗けるのは、かなりワクワクするのだ。

もう一つ面白いのは、「なぜそんな夢を見たのか」を考え始めると、途端に心理学めいた話になることだ。

夢分析という分野は昔から存在する。もちろん、蛇が出てきたから金運アップ!みたいな夢占いをそのまま信じているわけではない。だが人間の脳は、起きている間に経験したことや感情を睡眠中に整理しているとも言われている。

そう考えると、夢には何らかの形で、その人自身が混ざり込んでいると考えられないだろうか?

最近仕事が忙しい人が、締め切りに追われる夢を見る。
昔の友人と再会する夢を見る。
何年も思い出していなかった母校が突然出てくる。

そういう夢を聞いていると、「この人は今、こういうことが心のどこかに引っかかっているのかな」と想像してしまう。本人ですら気づいていない感情が、夢という形で顔を出しているのかもしれない。もちろん、全部が全部そうではない。昨日『ジュラシック・パーク』を見たから恐竜が出てきただけ、ということも普通にあるだろう。


そう、夢というのは、その人の人生で見聞きしたものを材料にして、脳が勝手に一本の映画を作っているようなものだ。脚本家は無意識で、監督も無意識。主演だけが本人である。だから同じ夢は二度と生まれないし、他人には絶対に作れない。

夢日記を付けると面白いという話を聞いてから、僕は印象的な夢を見た日の朝は、その内容をテキストに残している。
↓これがそのテキストだが、読み返してみると、かなり意味が分からない。



僕は、他人の夢の話を聞くのが好きだ。

それは単なる珍エピソードを聞きたいからではない。その人の脳が、その夜だけ上映した、世界に一本しか存在しない映画だからである。たとえ内容が支離滅裂でもいい。むしろ支離滅裂であるほど、この人の脳内では、こんな世界が生まれるのかと感心してしまう。

他人の夢ほどつまらないものはない。
そう言われるたびに、僕は少しもったいないなと思う。

夢ほど、その人らしさが無防備な形で現れるものも、なかなかないのだから。